壷中の天

 昔、中国がまだ後漢と呼ばれていた頃、費長房という道士が居た。彼がまだ道士になる以前のことであるが、ある町を訪れると、町の片隅で市が開かれていた。その光景を高い建物の上からぼんやりと眺めていると、たまたまある老人が薬を売っているのが目に入った。その老人の側には壷が置かれている。そろそろ市が終わる頃である。後片づけをしていると思うと、突然その老人はひょいと壺の中に入ってしまったのである。費長房だけがそれに気付いた。翌日彼はその老人の所へ行き、頼み込んで二人して壺の中に入ることにした。なかは広々とした立派な御殿になっていた。ご馳走がふんだんにあり、彼は飲み食いを楽しんだ。費長房は老人に頼んで、仙術を教えて貰うことにした。二人は険しい山へ入って修行に努めた。しかし、身に付かず、費長房は諦めて山を下りることにした。降りてみると、その間10日と思っていたのに、山里では既に十数年も経っていたという。この話は、市井の中、あるいは身近な所にも素晴らしい世界があるとの説話なのか、壺の口から見る世界は偏狭で、一般の常識からはかけ離れているという事を言いたいのか。いずれにせよ、この故事から「壼中の天」という言葉が作られた。実際、この言葉には、自分だけの理想郷という素晴らしく肯定的な意味と、極めて狭小で手前勝手の見解という否定的な意味があるという。

・ 壷中の天-Ⅰ【59,366KB】

 ここに集めた小論文の中には、私自身のものの考え方、生き方が書かれている。それはまさに「壺中の天」であるかも知れない。私の目指す病理は、私にとっては理想郷であるだろう。しかし、他の価値観、他の文化背景から見ると極めて狭小で身勝手な見解かも知れない。また、時代の進展に伴って価値観や文化も変化するし、多様性も出てくる。従って、今回通用したことが明日にはもう過去の遺物として置き去りにされる運命にも置かれ得る。このような危険があるにしても、否、むしろ危険があるからこそ、こういった考え(たとえそれが異なった考えや時代遅れの考えであっても)を人々に知らしめ、批判を受けるべきだと思うのである。

 いざ実際に集めてみると40数編近くもの小論文が揃っていたが、ここにはそのうちの32編を収録した。これらのものを書く機会を与えて下さった方々には感謝の気持ちで一杯である。また、自らの医師としての、そして病理医としての成長には、これまで知り合ってきた幾多の人々の関与と彼らからの影響が大きいことは言うまでもない。この本が、それらの人々と次世代の人々への架け橋になれば幸いと思っている。

2001年1月
真鍋俊明

・ 壷中の天-Ⅱ【18,516KB】

 前回の「壼中の天」が出てからすでに9年が過ぎ。10年目を迎えようとしている。時
は移り行くものである。この『壼中の天Ⅱ』を自費出版しようと同じ出版社に依頼すると、もはや自費出版の業務は行っていないとのことであった。調べていくと、医学書院で行っているとのことで、お引き受けいただいた次第である。奇しくも、私の最初の書物「外科病理学入門」を出版していただいた会社であり、大いなる因縁を感じている。

2010年7月
真鍋俊明

・ 壷中の天-Ⅲ【29,906KB】

 まさに「人生二度あることは三度ある」である。私が病理医の生活やものの考え方について12回の連載で日本医事新報にエッセイを書かせて頂いたことをきっかけとして、その後書いた同様のエッセイをまとめて製本したことがある。初めが、奇しくも川崎医科大学を辞める1年前、二度目が京都大学を定年退職する際、そして今度が滋賀県立成人病センターの総長を退任した時に当たる。いずれも「壼中の天」と題してまとめた。

2017年6月
真鍋俊明